2012年1月15日日曜日

2012年1月15日 説教要旨

「 旅には何も持って行ってはならない 」 ルカ9章1節~6節

 ここには伝道の働きに遣わされる弟子たちの姿とそのときに語られたイエス様の言葉が記されている。悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力を与えられて、12人の弟子たちは遣わされる。神の国の福音を言葉と力でもって証するために。私たちも毎週、捧げるこの礼拝の最後のところで派遣の言葉というのを聴く。12人の弟子たちと同じように、私たちもここから派遣されて出行く。神の国の福音の証のために。

その意味では、派遣に当たって12人の弟子たちに語られたイエス様の言葉は、私たちにとっても心すべき言葉なのである。12人のように特別な賜物が与えられていないとしても神の国の福音の証のために遣わされている点は何ら変わらない。
イエス様が語られた言葉、特に私たちの心をとらえるのは3節の言葉だと思う。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない」。「袋」というのは、物を蓄えておくための袋、旅の必需品だ。しかしイエス様はそのような袋でさえ、持って行ってはならないと言われる。持って行っても、持って行かなくてもどちらでもいいよと言うのではない。はっきりと、「持って行くな」と言われる。これは、一体、どういうことなのか。皆さんも経験があると思うが、旅をする時に今まで一度も行ったことがないような所に行くのであれば、あれを持って行った方がいいかも知れない、これもあれば困らないだろう・・・あれこれ考えているうちに、いつの間にかカバンの中が一杯になってしまう。つまり、旅に出るときの荷物の大きさは、不安の大きさの現われなのである。これから行く場所に何があり、何が起きるか、分からない。だから、あれもこれも持って行きたくなる。イエス様の「旅には何も持って行ってはならない」と言う言葉は、不安を持って出て行くな、安心して出て行けと言うことなのだ。「何も持って行かなくても、旅先ですべては満たされる。必要な時に、必要な物を神様がちゃんと与えてくださる。だから思い煩わないで大丈夫だ 」、イエス様はそう宣言してくださっているのだ。

 実は、ここで語られているイエス様の言葉と全く反対のことをイエス様が語られたのをルカ福音書は伝えている。そこを読んでみると、この第9章でイエス様が語られている中身が一層はっきりする。22章35節以下、「それから、イエスは使徒たちに言われた。『財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか』。彼らが、『いいえ、何もありませんでした』と言うと、イエスは言われた。『しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい』」。これは、イエス様が十字架にかかられる前の晩、最後の晩餐と呼ばれる食事の席の一場面で語られたもの。イエス様は第9章のことを振り返っておられる。何も持たないで行っても大丈夫だっただろうと。しかしここでは、財布のある者はそれを持って行け。袋も。剣のない者は服を売ってそれを買えと。なぜ、このようなことを言われるのか。 イエス様には、このときご自分を見捨てて離れて行く弟子たちの姿が見えていた。そして、ご自分から離れて行く者がどういう者にならざるを得ないかを語られたのである。つまり、イエス様を見捨てて離れて行く者は、財布も、袋も、剣も必要な者になってしまうのである。自分の命を、自分の生活を自分で守り、支えなければならい者は、どうしたって財布も、袋も、そして最後には剣さえも必要な人間になってしまうのであるイエス様は何と鋭く、人の心を見ておられることか。イエス様は不安の持つ本当の恐ろしさを見ておられる。私たちが不安を抱えるとき、富が必要になる。蓄えを確保したくなる、そして、不安が求めて行く最後のものは剣。人を刺し殺す、人を殺すことによってしか、自分を守ることができない・・・不安というものは私たちをそこまで追い込むものなのである。
弟子たちはイエス様が復活される朝まで、皆でひとつの家に集って戸を堅く閉じて身を隠す。片時も剣を手放せないような怯えきった状態で弟子たちはイースターの朝を迎える。彼らの不安の根底には罪がある。イエス様を見捨てて離れた、その罪が彼らに不安を生み出しているのである。自分の方から神を見捨てて離れて行くところから不安は始まる。だから本当に人が不安から解放されるには、その根源にある罪の問題が解決されなければならない。その罪が贖われることによって、初めて不安が取り除かれる。不安に怯える弟子たちのもとを復活の主は訪ね、「あなたがたに平和があるように」とおっしゃられた。それは罪の赦しの宣言、もう剣を離しても良い、あなたたちの不安の根っこは断ち切られた。イエス様が十字架の上であなたがたの不安の根っこ、罪を断ち切ってくださった。あなたがたの罪は赦された。

「旅には何も持って行ってはならない」という言葉は、私たちに対するこのイエス様の恵みの宣言だ。あなたがたの罪は赦されている。不安を生み出すあなたの罪の根は取り除かれている。あなたは贖われた人生を生きている。だから安心して、神様にまかせて出て行っていいということ。新しい年が始まった。私たちの不安も根っこから断ち切られている。だからイエス様を信頼して新しい年を歩もう。神の国の福音の証に出て行く者は思い煩わないでいいのだ。