2015年7月16日木曜日

ホームページリニューアルしました。こちらをご覧ください。

 

2015年3月10日火曜日


先週の説教要旨「 自由に妨げもなく 」 使徒言行録28章11節~31節 

1年半にわたって読み続けてきた使徒言行録を読み終える。一冊の書物をコツコツと読み続け、それを読み終えるというのは感慨深いものがある。やっと、ここに辿り着いたという思いもあるし、ついに終えるという思いもある。その感慨深さを「 ついに 」とか「 やっと 」という言葉で表現するものだ。使徒言行録の最後は、パウロがローマに着いたことが記されている。幾多の困難の末にようやくローマに着いたのであるが、「 こうして、わたしたちはローマに着いた 」(14節)と、「 ついに 」、「 やっと 」という言葉ではなく、「 こうして 」と実に淡白な表現となっている。そのことは、ローマにたどり着いた感動に勝る「 使命遂行 」の思いがパウロにあったからにほかならないだろう。パウロの目的はローマに来ることではなく、ローマでキリストを証することであった。パウロはそこに焦点を定めていた。

ローマでのパウロの生活は比較的自由があったようだ(16節)。そこで早速パウロはローマに到着して3日後、ローマに住むユダヤ人たちを招いて伝道を始める。自分がなぜ、ローマに来なければならなかったのか、それは同胞のユダヤ人たちが自分の伝えるキリストを信じ、受け入れようとせず、むしろ反対して暴動を起こしたために、私は騒ぎを起こした人間として捕らえられてしまった。そしてその裁判の過程でどうしてもローマの皇帝に訴えざるを得なくなったのだ、と言う。だがよく聴いて欲しい。私がこのように鎖につながれているのは、あなたがたが先祖代々、待ち望んできた望みが、キリストのもとにあるのだと私が伝えているためなのだ。そのことを理解してほしいと・・・。集まっていたユダヤ人たちは、あなたがたに関しては至るところで反対が起こっているのは知っているが、あなたの考えていることを私たちも直接あなたの口から聞いてみたい・・・。それで、日を改めてローマに住むユダヤ人たちが大勢でパウロが捕らえられていた。パウロは「 これぞ、自分がローマに来た目的 」と心を込めて神の国の福音を語り、キリストを証した。しかしその結果は、どうであったか・・・。「 ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった 」(24節)。死ぬ思いでローマにたどり着き、そして伝道した。しかしその結果は目を見張るようなものではなかったと言うのだ。果たしてパウロはどう思ったであろうか・・。しかしこれが伝道の現実、人の心の頑なさの現実なのである。伝道は、人の頑なさの現実と向き合うことである。

パウロの話を聞いていたユダヤ人たちが立ち去ろうとするときに、パウロは預言者イザヤの言葉を思い起こして言った。「 あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。・・・・・こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない 」(26節、27節)。福音を聞いてある人は心を動かす。しかしある人は全く心を動かさない。人の目と耳は、人によって違って見えたり、違って聞こえたりするものだ。同じことを見、同じものを聞いても、その人の心の状態によって全く異なる見え方がし、異なる聞こえ方がする。パウロが語る救い主イエス・キリストは、「 ダビデ王のように強さを持った王の再来、それこそが救い主 」と考えていたユダヤ人たちにとっては、パウロの言葉はとても救い主を語る言葉には聞こえなかった。多くの場合、人が十字架につけられたイエス・キリストに救いを見ることができないのは、知識が足りないからではない。むしろ反対に、知識があり過ぎるからである。この世の知識、常識があり過ぎるために、それにさえぎられて真実を見ることができなくなってしまうのである。当時のユダヤ人たちもそうである。救い主に対する知識があり過ぎたのだ。伝道することは、人の心の頑なさと向き合うことである。当然、そこには痛みがある。労苦が実らない痛み、福音が踏みにじられる痛みがある。パウロはローマの信徒への手紙において「 わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています 」(ローマ9章2節、3節)と言った。これはパウロだけではない。キリストを宣べ伝える教会がいつも心に覚えている痛みだ。語れば語るほどに、同胞の耳が頑なになってしまう。その痛みの中で御心がなりますようにと祈り続ける。私たちもこの痛みを知っている。神の御心がどこにあるか分からなくなるよう途方に暮れる痛みも知っている。しかしそれにもかかわらず大胆になれる。全く自由になれる。痛みを抱えながらの教会のこの歩みを私たちも望みをもって受け継ぎ、私たちがこうしていることはあなたがたの望みのためだと、私たちも私たちになり語り続けて行きたいと願う。しかしそれでもパウロは「 全く自由に何の妨げもなく」(31節)伝道したと言う。それらの痛みからも自由であったと言うのだ。なぜであろうか。パウロがプテリオに着いた時、そこにもすでにキリスト者たちがいた(14節)。パウロよりも先に誰かがキリストを運んでいた・・・いや、キリストがパウロに先立ってローマへと赴いていてくださったのだ。伝道とは、すでにそこで働いていてくださるキリストと自分が出会って行くことなのだとパウロは知った。だから伝道に伴う痛みからも自由になれたのだと思う。2015年3月1日)